寺田寅彦という地球物理学者がいました。
「天災は忘れた頃に来る」という言葉を残したことで知られ、気象学・地震学・海洋学などに業績をあげている、明治から昭和初期を生きた人です。
彼は、高校時代に熊本第五高校で夏目漱石に英語・俳句を習い、後年漱石の門下生となって、漱石文学の登場人物のモデルになっています。また、学者だけではなく随筆家としても、自然科学者の見識から独特の作品を残し、高い評価を得ております。
寺田寅彦の「芝刈り」と題した随筆を、ファングリーン理事で芝生の社会学者であるT氏が教えてくれました。病気療養中であった寺田が、自宅の庭の芝生が伸びているのを見て、芝刈りばさみを購入して、家人と10日ほどかけて芝刈りする話で、芝生の様子やそこに潜む生き物の光景を、いかにも自然科学者の目で追っています(全文はココで読めます)。
許されうる限りの日光を吸収して、芝は気持ちよく生長する。無心な子供に踏みあらされても、きびしい氷点下の寒さにさらされても、(中略)母なる土の胸にしがみついている。そうして父なる太陽が赤道を北に越えて回帰線への旅を急ぐころになると、その帰りを予想する喜びに堪えないように浮き立って新しい緑の芽を吹き始める。
梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈(もうせん)が濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生に落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜に波打たせながら、息もつかずに飲み干しているような気がする。
梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈(もうせん)が濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生に落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜に波打たせながら、息もつかずに飲み干しているような気がする。
うん、うまいな。
じつは、告白しますが…、わたくし事務局は学生時代に地球物理学を勉強したことがあり、大学の研究室の指導教官は寺田寅彦の“弟子の弟子”でした。てことは、わたしは寺田寅彦の“ひ孫弟子”であり、文学的には漱石の“玄孫(やしゃご)弟子”と呼ばれても過言ではありません(過言だ)。てことはつまり、このブログの文章は夏目漱石の流れをくんでいるとも言えるわけですな(なに言ってるんだか)。
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