大分時間があいての報告となってしまいましたが、去る8月22日、東京都議会議事堂都民ホールにて開催された、東京都教育委員会主催のシンポジウム「進めよう校庭芝生化~原体験シンポジウム」にパネリストとして参加して来ました。
現時点では学校校庭の芝生に関わっていない私達ファングリーンはやや場違いではという気もしましたが、都の担当者から伺った「今後校庭芝生化を推進するにあたっては、校庭の芝生を、学校関係者だけではなく、地域の様々な人達が力を合わせて支えていく必要があります。公園でそのような実践に取り組んでおられるファングリーンさんに、その辺りの話を是非伺いたいのです。また土のグラウンドが芝生に変わることで子ども達がどう変わるのかを見続けてこられた経験をぜひ語って下さい」というお言葉に、そういうことならばと、むさしの市民公園での経験に基づくお話をさせて頂きました。
今回のシンポジウムのテーマと内容は、パンフレットに次のように紹介されています。
テーマ: 自然の原体験を持たない子どもたちのために ~ 校庭を”失われた自然と人間との触れ合い=原体験を取り戻す場”へ
概要:昔の子ども達は、下校時に近所の空き地で自然に触れ、子ども同士の遊びの中で、社会性を身につける原体験の場がありました。しかし、最近は空き地も自然との触れ合いも得がたく、子ども同士も遊びの場がなくなっています。そういった社会変化の中で、校庭の芝生は失われた原体験を取り戻す場として大きな役割を果たすことが期待されます。原体験シンポジウムは、この意義を発するものです。
ここで言う原体験とは、子ども達が成長していく過程において、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の全てを通じて、多様で生き生きとした刺激に満ちた外界との関わりを積み重ねていくことを意味します。そうした原体験の蓄積がいずれ「知恵」となり、他人の獲得した知恵が共有されたものである「知識」の土台となり、その上により抽象的な「情報」が受け入れられるというように、一人の人間の基礎土台となるのが原体験なわけですが、かつて私達がそうした原体験を積んだ、多様な刺激に満ちた小川や原っぱ、雑木林といった遊び場はすでになく、現代の子ども達の原体験は刺激の多様性に乏しい薄っぺらいものになってしまっている。その結果、貧弱な土台の上に、テレビやゲーム、本やインターネットなどから得た知識や情報ばかりが肥大した、頭でっかちで不安定なものになってしまっている。
校庭を芝生にすることによって、教室や塾、テレビやゲームや本では得がたい、子ども達の五感を活性化させる、多様で生き生きとした刺激に満ちた場、子ども達が自然と集まることで集団での遊びが活性化するような場になることの意義を語りたい、それがこのシンポジウムとパネルディスカッションの目的だと理解しました。
私からは、私自身が芝生に関わるきっかけにもなった体験である、そこに立った子ども達の、自ら体を動かしたいという衝動を刺激する芝生の力、大人であっても、一面の緑を前にしたときに思わず「うわぁ~~….」と思わず嘆声をあげてしまうような、人の心を揺さぶる、五感を越えた不思議な力についてご紹介しました。目の前に拡がる緑の芝生を目にして、芝刈り直後の草の匂いを吸い込み、足の裏で芝生の柔らかさとみずみずしさを感じながら、ただ走りたいという衝動に突き動かされて走り出す子ども達、そんな生き生きと躍動感のある原体験の場になることを、芝生の校庭や公園に期待しているということをお話しました。
さらに、芝生と言えば維持管理作業はどうかという話題になりましたので、「芝生は作るときの設計ももちろん大事だけれど、その後の維持管理をどう継続していくのかがより重要。よく芝生化は失敗しやすいと聞くけれども、あきらめずに適切な維持管理作業を継続すれば、よほど前提条件が悪くなければ、芝生はちゃんと復活する。よく校庭の芝生は使われすぎて傷んでしまうから難しい、ダメだと言われるけれど、子どもが思い切り使って傷んだ芝生は、大人が手を掛けて直してあげればいい。子ども達が使って痛んだ芝生は、子ども達の代わりに傷んでくれているのだから、芝生が傷むということはむしろそれだけ役に立っているということ。土のグラウンドは傷まないけれど、その分子ども達が傷んでいるんです」といった、これまであちこちで語ってきた話をご紹介したところ、数多くの参加者が大きくうなずいて下さっていました。
他のパネリストの方々からもたくさんの興味深い話をお聞きすることが出来ました。なかでも、杉並区東田小学校の鈴木校長先生から伺った「校庭芝生化は一部分や周辺の芝生化ではなく、全面芝生化してこそ効果が大きい」というお話は大変興味深かったです。先生の前任の学校では、芝生は校庭の周辺部分のみで中心部は土のままという形状で、中央部では従来通りの使い方が出来、周辺部では腰を下ろしたり憩うことが出来て、土と芝の両方のいいところが生かせるこの形がすごくいいと当時は思っていたそうです。が、東田小学校に来て、全面芝生の校庭とそこで思い切り元気に遊びまわる子ども達、休み時間が待ち遠しくてたまらず、チャイムと同時に芝生の上に飛び出してくる子ども達を見て、校庭芝生化のメリットを最大限に生かすためには全面芝生化にするべきと考えが変わったそうです。「とにかく子ども達の様子が、土の校庭とはまるで違う」そうで、全面芝生にしたら、こんなことやあんなことが出来なくて困るのでは、と心配していたことなど、全て杞憂だったそうです。
さらに、芝生と言えば維持管理作業はどうかという話題になりましたので、「芝生は作るときの設計ももちろん大事だけれど、その後の維持管理をどう継続していくのかがより重要。よく芝生化は失敗しやすいと聞くけれども、あきらめずに適切な維持管理作業を継続すれば、よほど前提条件が悪くなければ、芝生はちゃんと復活する。よく校庭の芝生は使われすぎて傷んでしまうから難しい、ダメだと言われるけれど、子どもが思い切り使って傷んだ芝生は、大人が手を掛けて直してあげればいい。子ども達が使って痛んだ芝生は、子ども達の代わりに傷んでくれているのだから、芝生が傷むということはむしろそれだけ役に立っているということ。土のグラウンドは傷まないけれど、その分子ども達が傷んでいるんです」といった、これまであちこちで語ってきた話をご紹介したところ、数多くの参加者が大きくうなずいて下さっていました。
他のパネリストの方々からもたくさんの興味深い話をお聞きすることが出来ました。なかでも、杉並区東田小学校の鈴木校長先生から伺った「校庭芝生化は一部分や周辺の芝生化ではなく、全面芝生化してこそ効果が大きい」というお話は大変興味深かったです。先生の前任の学校では、芝生は校庭の周辺部分のみで中心部は土のままという形状で、中央部では従来通りの使い方が出来、周辺部では腰を下ろしたり憩うことが出来て、土と芝の両方のいいところが生かせるこの形がすごくいいと当時は思っていたそうです。が、東田小学校に来て、全面芝生の校庭とそこで思い切り元気に遊びまわる子ども達、休み時間が待ち遠しくてたまらず、チャイムと同時に芝生の上に飛び出してくる子ども達を見て、校庭芝生化のメリットを最大限に生かすためには全面芝生化にするべきと考えが変わったそうです。「とにかく子ども達の様子が、土の校庭とはまるで違う」そうで、全面芝生にしたら、こんなことやあんなことが出来なくて困るのでは、と心配していたことなど、全て杞憂だったそうです。
大いに同感です。芝生化するにあたっては、何のための芝生化なのかをよく検討して、それを生かした設計なり、レイアウトにして欲しいですね。「安全な運動スペースとして、子ども達の運動意欲を刺激したい」ということであれば、運動するのに適した広さや形、レイアウトが必要です。せっかく芝生化するのに、出来ることがストレッチだけ、座って休憩するだけでは、もったいないですし、それでは子ども達はあまり変わりませんよね。これから校庭芝生化に取り組む学校では是非この点をよく考えて頂きたいものです。
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